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他山の石

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説教部屋へようこそ

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私たちの業界では五月六月は、営業面でたいへん忙しい時期となります。
と、いうのは年度末(来年三月末)に出来上がる特殊建築物(ビル、マンション、収益物件、
公共建設物件等、主に住宅以外の物件の事)の計画がたち見積もり、入札の時期だからです。
ブログ、やろうとは思うのですが一年の仕事量や売り上げを大きく左右する時で、
シビレル毎日を送ってましたので、なかなか更新できずにおりました。

少し落ちついたので、小学校編に進もうと考えていたら ある事を思い出しました。
私、小学校に上がる前 九死に一生を得てるんです!
この事が、後のわが家の行末に大きな影響を与えてしまいました。

あれは、お祭りの日でした。
子どもが楽しみなのは、おみこしと縁日に並ぶ露店ですよね、私も前日からワクワクドキドキ!

私の父は西陣織の「かなおさ」という糸を通す部分の機械製造工場を営んでいました。
工場といっても家の一階で二階に家族がひしめき合って生活しておりました。
映画の三丁目の夕日のまさにあの感じです。親父もまさにあの感じです。
おまけに、田舎から出てきた住み込みの若い人も いっしょくたに生活しておりました。
家の向かいがスーパーでその隣が神社の入り口になってました。

その日も一階の工場は忙しそうで、親父の怒鳴り声が響いておりましたが、もらう物を
もらわないと縁日に行けませんので、恐る恐る親父に近づき手を差し出しました
すると親父はニタッと笑いながら、作業服のポケットから小銭を取り出し私の手に
ヤッターと思いよく見ると、50円 えっ!?昭和45年か46年の事ですので、たしかに
駄菓子屋なんかでは50円あれば豪遊できたと思いますが、縁日ではさすがに無理。
勇気をふりしぼり「おとうちゃん、これやったら すぐになくなるわ」
すかさず、親父は「なくなったら帰って来い、またやる」
私「わかった!ほんなら行ってくるわ」

そして、確か二つぐらいの店でお金がやっぱりなくなり急いで家に っと言っても
道を渡るだけなのだが、走って渡ろうか思ったが保育園の交通教室での事を思い出した。
道を渡る時は必ず、右 左 右 ちゃんとしなければと思い、スーパー前の車がいっぱい
停まっている間から、顔をだしてしまいました。

そこからは、まったく覚えがなく気がついたら病院のベットの上でした。
スーパーに卸しに来た肉屋のトラックにはねられたという事です。
家の目の前で、息子が血だらけで生きてるのか死んでるのか判らない状態で
親父は、雄たけびをあげながら私の頭に自分のタオルや服を巻いておったそうな。

結局、顔に傷が残ったぐらいで頭は悪くなったか良くなったか?さだかではないが
今も生きているので、めでたし めでたし。

後日、私が退院した頃に肉屋の人が家にお詫びに来たらしい、私はまったく覚えがないのだが
親父 曰く 菓子折りを持ってきたその人に向かって幼少の私が言ったそうな
「お菓子持って来るより、肉 持ってこんかい!」
父 母そろって、ズッコケたらしい。

この頃の日本では交通戦争なんて言われていて交通事故が社会問題化していたらしいです。
私の姉も事故に遭い、叔父もたいへんな事故で障害者になり、この辺から父の田舎暮らしへの
願望がメキメキとふくれていったように思います。

田舎であろうが街中であろうが、地域ぐるみで日本の将来を背負っている子どもたちを
守ることは、私たち大人に課せられた大きな課題の一つですね。
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by bossyamauchi | 2011-06-29 18:23