人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

他山の石

bossyk.exblog.jp

説教部屋へようこそ

夏休み 子どもの頃は一年で一番楽しい時でした。
ところが、今は一年で一番疲れる時になりました・・・・・

しかし、親は子どものためなら がんばれるものである!
毎年 夏は、盛りだくさんのスケジュールとなるが今年はPTAのお役目もあり
すごいタイトな計画となった。

PTAの今年の目玉である行事は、それはそれは、たいへんな労力が求められた。
私は、本当に何も出来なかったがお母さん方の、がんばりには頭が下がるばかりです。
母は強し!すばらしいとしか言えません。本当にお疲れ様でした。
今年は毎年学校でやっているキャンプを少し変え、学校で学ぼうと題して不便生活の体験を
軸にした行事を開催したのである。今も、被災地では皆さん大変な生活を送られてます。
子どもたちには、日々の「当たり前」に感謝するよう伝えたつもりであります。
全ての関係者のおかげで、大成功となりました!ありがとうございました。
8月21日の京都新聞にも載せて頂きました。北小サイコー!!!本部サイコー!!!

ロータリーの二つのイベントも無事に終わり、家族旅行も無事サービス完了
私の家の一大イベントである大文字パーティー(これも朝からの準備で毎年腰が抜けそう)
も無事終わり、地蔵盆も無事終わり、なんとか今年の夏を乗り切る事ができました。

気がつくと、少し涼しくなりましたが皆さん、疲れは後からやってくるものです。
くれぐれも、お体にはご自愛ください。
# by bossyamauchi | 2011-08-22 16:49
そういえば、
小学校に上がる前に、もう一つ大きな出来事があった。
ある日、父親が突然 姉二人と私を呼んでこう言った「お前ら四人兄弟になるど」
えっ!三人 顔を見合わせ、どっどっどういうこと?
十歳の姉と九歳の姉が「赤ちゃん生まれんの」と、それでようやく気がつく六歳の私

九歳の姉が、すかさず「私、妹がええわ弟は憎たらしいしいらんわ!」ガクッ
私が「ぼくは、弟がええわ」と、十歳の姉が「あほ!弟はもうええ」ガクッ
まあ、とりあえず三人で万歳三唱

母のおなかはどんどん大きくなり、三人でおなかをさすりながら「女がええ、男がええ」
なんて言ってたのを思い出します。そして、ついにその日がやってまいりました。

母はその日も普通に家事をこなし、私たちに晩御飯のカレーライスを作ってくれました。
全てのことを、自分で仕度し私たちに「ほなら行ってくるで、留守番たのむで」と
一人で歩いて病院に向かいました。
母は強し、恐るべきパワーです。

父親と四人で黒電話を囲み待ちました、電話がなり父が取り、ニヤリ・・・
息を呑む三人ドキドキ「女や」と父が、姉二人万歳 私も取り急ぎ万歳

それからは、名前を決めるのに三人がまた大喧嘩、三人とも自分が考えた名前を一歩も譲らず
結局、母が考えた名前で一件落着 はれて四人兄弟に
妹は、三人のおもちゃと化しながら、たくましく成長するのであった。

先日、フランス人と話す機会があり兄弟の数について聞いてみた。
27歳の女性だが、三人が多いそうだ、やはり今の日本の少子化はたいへんな問題です。
私自身は三人の子どもの父親ですが、よく言われるのは「三人もようがんばらはるな」
別に、たいして がんばっているつもりはない、二人も三人もそう変わりはしないと思う。
また、そんな事言ってると、家内に叱られるかもしれないが・・・

子は鎹とか宝とか言いますが、本当にそうで私は子どもがいるから、がんばれます。
次の世代のためにも日本のためにも、少子化問題はクリアーしなければならない
大きな課題のひとつですね。
しかし、子育てはたいへんではありますが、こんなに幸せなことは他にはないと思います!
# by bossyamauchi | 2011-07-26 15:21
私たちの業界では五月六月は、営業面でたいへん忙しい時期となります。
と、いうのは年度末(来年三月末)に出来上がる特殊建築物(ビル、マンション、収益物件、
公共建設物件等、主に住宅以外の物件の事)の計画がたち見積もり、入札の時期だからです。
ブログ、やろうとは思うのですが一年の仕事量や売り上げを大きく左右する時で、
シビレル毎日を送ってましたので、なかなか更新できずにおりました。

少し落ちついたので、小学校編に進もうと考えていたら ある事を思い出しました。
私、小学校に上がる前 九死に一生を得てるんです!
この事が、後のわが家の行末に大きな影響を与えてしまいました。

あれは、お祭りの日でした。
子どもが楽しみなのは、おみこしと縁日に並ぶ露店ですよね、私も前日からワクワクドキドキ!

私の父は西陣織の「かなおさ」という糸を通す部分の機械製造工場を営んでいました。
工場といっても家の一階で二階に家族がひしめき合って生活しておりました。
映画の三丁目の夕日のまさにあの感じです。親父もまさにあの感じです。
おまけに、田舎から出てきた住み込みの若い人も いっしょくたに生活しておりました。
家の向かいがスーパーでその隣が神社の入り口になってました。

その日も一階の工場は忙しそうで、親父の怒鳴り声が響いておりましたが、もらう物を
もらわないと縁日に行けませんので、恐る恐る親父に近づき手を差し出しました
すると親父はニタッと笑いながら、作業服のポケットから小銭を取り出し私の手に
ヤッターと思いよく見ると、50円 えっ!?昭和45年か46年の事ですので、たしかに
駄菓子屋なんかでは50円あれば豪遊できたと思いますが、縁日ではさすがに無理。
勇気をふりしぼり「おとうちゃん、これやったら すぐになくなるわ」
すかさず、親父は「なくなったら帰って来い、またやる」
私「わかった!ほんなら行ってくるわ」

そして、確か二つぐらいの店でお金がやっぱりなくなり急いで家に っと言っても
道を渡るだけなのだが、走って渡ろうか思ったが保育園の交通教室での事を思い出した。
道を渡る時は必ず、右 左 右 ちゃんとしなければと思い、スーパー前の車がいっぱい
停まっている間から、顔をだしてしまいました。

そこからは、まったく覚えがなく気がついたら病院のベットの上でした。
スーパーに卸しに来た肉屋のトラックにはねられたという事です。
家の目の前で、息子が血だらけで生きてるのか死んでるのか判らない状態で
親父は、雄たけびをあげながら私の頭に自分のタオルや服を巻いておったそうな。

結局、顔に傷が残ったぐらいで頭は悪くなったか良くなったか?さだかではないが
今も生きているので、めでたし めでたし。

後日、私が退院した頃に肉屋の人が家にお詫びに来たらしい、私はまったく覚えがないのだが
親父 曰く 菓子折りを持ってきたその人に向かって幼少の私が言ったそうな
「お菓子持って来るより、肉 持ってこんかい!」
父 母そろって、ズッコケたらしい。

この頃の日本では交通戦争なんて言われていて交通事故が社会問題化していたらしいです。
私の姉も事故に遭い、叔父もたいへんな事故で障害者になり、この辺から父の田舎暮らしへの
願望がメキメキとふくれていったように思います。

田舎であろうが街中であろうが、地域ぐるみで日本の将来を背負っている子どもたちを
守ることは、私たち大人に課せられた大きな課題の一つですね。
# by bossyamauchi | 2011-06-29 18:23
震災後、遠慮していた保育園編のつづきでございます。
ブログ楽しみにしているとの、お声 ありがとうございます。恐縮致します!
たくさんの方に見てもらっていると思うと少し緊張してきました。が、ガゼン「やる気」も!!!

私が小さい頃の子どもたちは本当によく遊んでおりました。
どこでも遊び場にしたし、どこに行っても誰か友達がいたように思います。
神社や公園でいろんな遊びを皆で楽しんだものです。
缶けり 鬼ごっこ かくれんぼ メンコ ビー玉 爆竹 かんしゃく玉 などなど
ある日、靴隠しをやってまして面白すぎたのか、はたまた興奮しすぎたのか
自分で隠したにもかかわらず、靴が見つからず家にケンケンで帰ったことがありました。
親父は大笑い、上の姉には あほ丸出しやと言われ、下の姉にはサルのくせに靴はくしや
とまで言われ、撃沈 そこまで言わんでもと思いつつ、せっかく買ってもらった靴をと
サルでも反省!?靴のありがたみがわかった、ハナタレ坊主であった。

最近の公園を見ていると休日は別として平日に子どもが少ないように思います。
昔と違い、治安も良くないしゲームやなんかもたくさんあるし、しょうがないかも
しれませんが、子どもは外で元気いっぱい遊ばないといけません。
遊びの中で、いろんな事を経験するのです。
怖い事 いけない事 けんかになる事 痛い事 悪い事 友達の事 年上年下の事などなど
経験を通じて成長するのではないでしょうか。

仕事でいえば、経験はどんなマニュアルより強しといえます。今の子ども達が精紳的に弱いのは
私たち大人の責任ですね!変えていこうじゃありませんか!皆で協力して、日本のためにも。

次から、小学校編に進みまーす。がんばって書きまっせ!

ところで、「くーつかくし、ちゅうねんぼ」ってどういう意味?
# by bossyamauchi | 2011-05-27 19:23
震災の次の日、子供の頃からの友達が死んだ。
小学校のときに、隣の学校という事でお互い児童会会長をやっていたため交流があり
友達になった。中学の間は少しあいたが、高校が一緒になった。以来ずっと親友だ。

葬儀は週一ぐらいのペースで出席しているが、同級生の葬儀は正直・・・つらすぎた。
喪主を息子がやっていた。りっぱに成長した息子を見て、涙が止まらなかった。
出棺の挨拶で息子が「父は、十年近い癌との闘いの中 一度たりとも弱音を吐くことなく
私たちを育ててくれました。」と、心に響きました。

高校時代、ラグビーで共に汗をながした仲でした。彼は大学、社会人とラガーマンを
続け、消防士として社会に貢献しました。日本の誇りです。
もし、彼が今も元気にしていたら東北で活躍していたに違いありません。

私にも息子がいますが、まだ中学生です。彼の息子のようなりっぱな男に成長してほしいです。
それには、やはり私自身が彼に負けないようにがんばって生きて行かないといけません。

「今日の一分を笑う人は明日の一秒に泣く」フィリップ・チェスターフィールドという
17世紀のイギリスの政治家が残した名言があります。
これは、彼が社会に出る息子に宛てた手紙の中の一文だそうです。
彼が息子に伝えたかったのは、時間と人生を大切にせよ、という事だけではなく
時間がないことを理由に行動を先送りする人は、時間が十分にできたとしても
行動を起こさないと言う事。

私たちは生きている事に まず、感謝してどんなに忙しくてもやるべき事から逃げたり
行動を躊躇したりせず、日々努力を続けていかないとなりません。
私は、いつも息子や娘に「とにかく、いやな事から先に済ませろ」と言い聞かせています。
これが出来ないと将来人の上に立つことは、絶対出来ないというのが私の持論です。
逆に言えば、これが出来れば社会で通用すると思います。
えらそうな、ものの言いようになりすいません。

私自身も良い教訓にして、仕事 家族 会社 ロータリー PTA どんなに忙しくとも
時間を大切にしながら、がんばっていこうと思います。
天国にいる友人に、笑われないように。
# by bossyamauchi | 2011-04-27 11:59

by bossyamauchi